夢を叶えるカメラレッスン

ヒストリー

カメラマンになるきっかけ

パーティーカメラマンと名乗る前僕はNaYOGAというNPO法人を主宰していて健康や環境、ヨガをテーマにしたイベントを企画していました。
そこでイベントの記録写真を残したいと思いカメラを購入しました。

大きなイベントはオフィシャルのカメラマンが入ることがありましたがNPOなどの小さなイベントにはカメラマンが入る予算がなくスタッフが記録撮影をしていました。
そこで他の同じような活動をしているNPOやヨガのコミュニティでいい活動をしている人たちを同じ目線から応援したいと思い独学で撮影を学びカメラマンをはじめました。

budokon

パーティーカメラマンとは

「自分もパーティーを楽しみながら参加者の楽しんでいる様子を撮影する」パーティーカメラマンはそんなカメラマンです。

「カメラマンだって楽しいほうがパーティーは盛り上がるんじゃないかな?」
そう思った僕はパーティーやイベントなどで参加者と同じように楽しみながら撮影をはじめました。

パーティーによっては楽しいコスチュームや仮装をして撮影しているうちにパーティーカメラマン(通称:パーカメ)と呼ばれるようになりました。

カメラマン坂野旬

コブラスネーク先生

当時の僕のアイドルはmark hunter(thecobrasnake/コブラスネーク)というカリフォルニア出身のパーティーフォトグラファーでした。

コブラスネークはパーティーのバックヤードでモデルやセレブ、芸能人などのスナップ撮影をしてウェブサイトthe-cobra-snakeにアップしていました。
僕はコブラスネークに影響されて「パーティーカメラマン」と名乗りコブラスネークをまねてブログやSNSで写真をアップしていきました。

撮影の依頼者は名古屋セレブの皆さまにとどまらず名古屋最大のクラブiDCafeの仮装パーティーをはじめクラブやDJイベントの撮影も増え、趣味でやっていたベリーダンスのショーの撮影も増えてきて昼夜問わずパーティーやイベントを撮影しまくり名古屋のパーティー界隈では「パーカメ」「パーティーカメラマン」と浸透していきました。

東日本大震災と再スタート

パーティーカメラマンは通称パーカメとして名古屋のパーティー好きの人々の中に浸透していきました。
そんなパーティー三昧の日々を送っていた時に2011年3月11日に東日本大震災が起きました。
世の中は自粛モードになりイベントやパーティーは次々と中止になりNPOの活動も東日本大震災のチャリティーじゃないとやってはいけないような雰囲気になりました。
ふざけた格好でパーティーの撮影なんかしていてはいけないような気になりパーティーカメラマンもやめようと思いました。
しかし

「こんなときだからこそみんなが楽しむ姿を撮影してパーティーに行けない人もハッピーになってもらえるようようなことをしたい!」

そう思いその時やっていたウェブ制作の仕事やNPOの運営を全部ストップしてパーティーカメラン中心の生活にシフトしました。

そして僕と同じようにパーティーカメラマンをやりたいという人を集めてパーティーカメラチームを作りました。

新しいパーティーカメラマンを指導しながらみんなで毎日パーティーを撮影しまくりました。
パーティーカメラチームは最大で約50名ほどに増えましたが2年間のパーカメチームの活動でチームでの撮影は一旦終了し原点に戻り1人で活動することにしました。

パーカメの想い

カメラマンをさせていただくと色んな人や文化に出会います。

昨日までなんの興味もなかった1本のネジがネジ工場を撮影させていただいた後では見え方が変わってきます。
知らなかったジャンルの音楽もパーティーの撮影をさせていただくと好きになったりしています。

カメラマンをやっていていいと思うのは撮影させていただく人やイベント、モノのストーリーを共有できることです。
どんなパーティーにもヒトにもモノにもストーリーや歴史があります。
僕はカメラマンをしているおかげで毎日色んなストーリーや人に出会わせていただいています。

「写真の基本は色んな視点で対象物を観察することだ」
とあるカメラマンが言っていました。

撮影を通じて色んなものに興味をもったり新しく出会った人々との交流が今はなによりの楽しみです。

今はカメラをはじめた当初の『小さなコミュニティでもいい活動をしている人たちを同じ目線から応援したい』という思いと『出会った人を笑顔にしたい』という思いで日々様々なパーティーの撮影をしています。