夢を叶えるカメラレッスン

震災のニュースで感じたこと

震災のニュースで感じたこと

11日に地震が起きてから毎日ネットやテレビで震災のニュースや情報が流れています。
ニュースの映像を見たらゾッとして「家が流れてる~ 怖いなぁ」と思うし、twitterのTLが震災情報で埋まっているのをみると「僕も何か出来ることはないかなぁ」とは思いたまにRTしてみたりしています。
しかしその感情とは別に不謹慎だとは思いますが自分の身に起きていないのでどこか他人事のような気がしています。
阪神・淡路大震災の時もそうでした。
1995年大学生の僕はマネキン屋のバイトのトラックの中で神戸で大地震があったことをラジオから聞きました。
マネキンを納品してまわっているうちにどんどん死者、怪我人が増えていって運転手さんと缶コーヒーを飲みながら「こりゃーすごいことになってるぞー」と会話をしていたのを覚えています。
家に帰ってTVでニュースをみたら高速道路やビルがすごいことになっている映像が流れてきても知っている場所がロケ地になっている映画をみているような感じでした。
心ばかりの募金とかをしてもあんまりにも現実感がないので現地をみてみたいと思って学校とバイトをサボって現地にボランティアに行くことにしました。
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僕は生協からのボランティアで東灘小学校に数日ボランティアに行ってその後は直接現地の団長に連絡して引きこもっていた友だちを誘って1ヶ月くらいボランティアに行っていたと思います。
神戸にボランティアに行って被災地を見たり現地の人と夜更かししながら雑談をしたことで阪神・淡路大震災は僕にとってリアルな経験のあるニュースになりました。
今回も岩手に行ってみたいのですが残念ながら今はいけない状況なのでなかなか他人事からなかなか発展しません。
ただ大船市在住のNaYOGAの創立時のメンバーが消息不明なのでそれが僕にとっての今回の震災の現実的な部分です。
googleの消息情報『2011 日本地震』で彼女の名前をタイプして「誰かがこの人物についての情報を求めています」と表示さて詳細で本人と確認した後にはなんだかgoogleの消息情報『2011 日本地震』のツイートをリツイートする気分にはなれませんでした。
時には何人にもRTされていうるgoogleの消息情報サイトのリンク先のツイートをみて消息不明の彼女の名前が表示された感情がよみがえり「必要な人は知っているのでその情報はもうリツイートするのやめたら」とか書きそうにもなりました。
震災が起きた直後のツイッターやUSTは様々な情報が流れて目が話せれませんでしたがその後すごい勢いで震災情報が流れるツイッターはなんか違和感を感じました。
今ではGoogleやyahoo!のトップページには震災用のまとめサイトへのリンクがあるし募金も出来るようになっています。
ツイッターが出来る人ならPCからでも携帯からでもGoogleやyahoo!のトップページくらいは表示できるのに今度は「あのツイートは嘘だ!」とか「あのツイートは不謹慎だ」と言い出す人たちも出てきました。
そんな状況を見ていたら『ヨガを伝えたい人』と『災害時の情報を伝えたい人』が似ているような気がしてきました。
こんな例えこそ不謹慎とは思いますがえっとさんにむけて書きます。
ヨガ→ヨガ哲学もヨガのポーズもいいこと。
震災→悲惨なこと。こんなときこそ微力でも協力を!
上の2つはきっと正しいことだと思います。
今回の震災ではみんな善意をもって災害者の役に立とうとネットを活用して情報を流したり街角でボランティアや募金を呼びかけたりしています。
ヨガインストラクターさんとかもヨガはいいことだという日々様々な方法で伝えています。
両者とも正しいことを伝えるといういいことをしているのですが声高らかに言えば言うほどそれを素直に受け入れれない人も出てきます。
しかし絶対的にいいことを伝えるという使命を背負ったときは時にその絶対的にいいことに自分と同じように賛同しない人や温度差がある人に出会うとその人を見下したり非難してしまう人や自分と同じ考えじゃない人の考えを受け入れれなくなってしまう人も中には出てきます。
震災の情報をたくさんツイートしているひとが他の人にたいして「あのツイートは嘘だ!」とか「あのツイートは不謹慎だ」と言っているのとヨガの先生が「ヨガ的には・・・」というのとなんか似ているなぁと思いました。
そこまで言いきれちゃうのはバックには絶対的にいいことが付いているからです。
そうなっている人の前で震災の以外の話題を今すると怒られそうだし、ヨガの先生の前で他の話をしてもすぐヨガの話にすりかえられそうな気がしちゃいます。
実際には両者ともそんなことはないのですが・・・なんかそんな気がして話題を選んでしまいます。
僕はNPOをやっているので「募金活動をしましょう」「この情報を流してください」というメールや電話もよく来ます。
でも日本人ほぼ全員が知っている災害で募金窓口も容易に探せる状況で新しく募金窓口を作るのにはあまり気が乗らなくてすべて辞退させてもらっています。
寄付する気がある人ならすでに自分が選んだ寄付先で寄付をしていると思うからです。
情報もネットやニュース、新聞で整理して提供していることろも多いのでたくさん流れている情報を再流布する必要性も感じないからです。
震災のニュースを見て不安になったりなんかしなきゃというのもわかりますが僕みたいな自分のことや自分の家庭のことも1人前に出来ていない人は人のことよりまずは自分のことやらなきゃと思います。
NPOをはじめるときに教えてもらった言葉で「世界の平和、家庭の不穏」という言葉があります。
これは環境保護や世界平和を訴えいい活動に夢中になるばかりにもっとも自分に身近な家族や自分のことをないがしろにしてしまい「世界の平和のためにいい活動をしているけど、あのひとは自分の家庭のことには目を向けない」というボランティア馬鹿にならないようにとNPO設立支援センターの方が教えてくれた言葉です。
自分のことは後回しにして慈善活動をするのは素晴らしいこととは思いますがあんまり自分のこともきちんと出来ていないのに慈善活動にこころをうばわれて現実の生活を忘れるのは別だと思います。
インターネットが発達して色んな情報があふれる中自分で情報を選択することが出来なかったり感情だけ先走ってまわりが見えなくなることもありますがまずは自分のことをしっかりやることこそが自分が出来ることのような気がします。
僕は神戸の震災の時に大学の追試をさぼって震災のボランティアに行きました。
震災のボランティアは「阪神・淡路大震災は僕にとってリアルな経験のあるニュースになった」という経験になりましたがそれがいい選択だったかどうかはわかりません。
ちゃんと追試を受けてからボランティアに行けばもう1年はやく大学を卒業出来ていたかもしれません。
刻々と流れてくるニュースや情報をみていると何かやらなきゃという気持ちになってきますがまずはこのブログを書いたら4日間溜まっていた震災に関する感情はしばらく忘れて今目の前のことをがんばってやろうと思っています。
直接災害を受けていない僕の震災のニュースやツイッターをみた感想なので不快に思ったり不謹慎な表現と思われる点もあるかと思いますが久しぶりにPCを立ち上げこの震災で何を感じたか書いておかないと現実の生活に戻れない気がしたので書きました。

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