阪神・淡路大震災ボランティアでのエピソード

阪神・淡路大震災ボランティアでのエピソード

阪神・淡路大震災ボランティアでのエピソード
16年前の話だし東日本大震災とは状況が違うので参考になるかわかりませんが僕が阪神・淡路大震災のボランティアをしたときのエピソードを記憶をたどってメモしておきます。
【六甲にて】
僕は大学生協を通じて最初は神戸入りしました。
現地に着いたら六甲の安全なところで数日なにもしないで過ごしました。
そのときのエピソードです。
待機していた場所には数十人(30人くらいだったかな)の全国から集まったボランティアの大学生がいました。
僕と一緒に入った東京の大学生が待機場所のリーダーに言いました。
「俺達はいつまでここにいるんですか?毎日3食弁当をもらってこんなことろに待機するためにボランティアに来たんじゃないんだ。早く現地で役に立ちたい!」
待機場所のリーダーはこういいました。
「指示があるまで待機していないとダメなんです。今避難所に連絡を取りながらどこが人が足りないか確認しているので待っていてください。やることなければこの部屋の掃除をして下さい。それかいつでも動けるように体を休めていてください」
待機部屋は一時的にいる場所で生活する場所じゃなかったので荷物や雑誌、タバコなどで散らかっていました。
彼は納得いかない表情で僕に耳打ちしました。
「俺はボランティアのみんなの散らかした部屋を掃除しにここに来たんじゃないだよ」
【避難場所にて】
数日待機部屋にいたあとようやく僕らも配属先が決まり現地の避難場所に行くことになりました。
みんないよいよボランティアが出来るとタオルを頭に巻いて気合を入れている人や悲惨な現地の状況をイメージしながら神妙な表情をしている人などとワゴンに乗り合わせて現地に向かいました。
避難場所についたら現地の団長がよく来てくれたと挨拶があり体育館の自分のスペースを教えてもらい「しばらく休んでいてください」と言われた。
頭にタオルを巻いていた彼が団長に「なんでもしますんで言ってください」というと団長は「ありがとう。今はやることないから指示があるまで休んでいていいよ」といいました。
僕が「待機場所の時みたいに校庭のゴミでも拾おうか」というと彼は「俺は外に出て人を救出するよ」と団長に外出願いをしに行きました。
もちろん彼は団長に無意味な外出は断られていました。
【パトロール】
僕達に与えられた仕事は深夜の避難場所のパトロールでした。
校庭のテントで外部から不審者が入ってこないか見張り、1時間ごとに校内を朝まで巡回をしました。
最初の辺はどうだったか忘れましたが救援物資も思ったよりたくさんあったので残ったお弁当を食べたりトランプをしたりしながら毎晩徹夜でパトロールをしました。
トランプで負けた人の罰ゲームは廃棄するお弁当の一気食いでした。
校内をパトロールしていると不安で泣いている人、カップルで目立たないところで抱き合っている人などが時々体育館から出て校舎に入ってきているので声をかけて体育館まで戻ってもらっていました。
【新興宗教】
ある日パトロールから戻ってくるとテントの中でみんなが神妙な顔をしていました。
どうやら体育館の外で新興宗教の方が1人ずつ避難所の人を呼び出して話をしているらしいのです。
以前にもそんなことがあり、わらにもすがりたい人の気持ちや信仰の自由を考えると対応に困ったけどおもったより広がらなかったのですが「またかー」という感じでどう対応するかみんなで考えていました。
思い切って団長が呼び出された人に声をかけたら宗教の話ではなくネットワークビジネスの勧誘の話でした。
それはそれでどうかとは思ったのですが「そんなんならええわー」と団長はホッとしていました。
【炊き出し】
避難所では救援物資のお弁当はたくさんあったのですがさすがに毎回お弁当では飽きてきます。
そこで楽しみだったのが時々来てくれる炊き出しです。
色んな炊き出しをいただきましたが僕は北海道の石狩鍋が一番美味しかったです。
戻ってからもまねして作ったのですが大なべで鮭と生しいたけがたっぷり入ったあの石狩なべのおいしさは今でも時々思い出すくらいです。
【性犯罪】
1回目のボランティアの期間が終了して僕は再度直接の団長に連絡を取って1回目と同じ避難場所に有志のボランティアで入りました。
学校の外では窃盗やレイプもあるという話を聞き衝撃を受け2回目のボランティアでは性犯罪防止をテーマに現地入りしました。
普段まじめなお父さんが非常時になり自分を見失って性犯罪をしてしまった人がいるというエピソードも最初のボランティアの時に聞きました。
パトロールをしていると愛し合っているカップルにも出くわしました。
しているのはいいけどシャワーはたまにしか使えないので不衛生だなあと思っていました。
徹夜でトランプをしながらグダグダと話をしていると下の話にもなり避難所ではたしかに男性の性処理には困っているという話も聞きました。
そこで僕は避難所にビデオ個室設置かヘルスに出張で巡回に来てもらうことを提案しました。
三宮のヘルスは震災後すぐに営業をはじめていたのでキャンピングカーみたいなので避難所近くにでも出張で来てもらうといいんじゃないかというと女性や子供にわからないように配慮してもらえばいいよねーとトランプをしながらそんな話で盛り上がりました。
翌日避難所のミーティングでこの話を提案したら
「確かに必要な問題かもしれないが。。。」
と言ったあと年配の方が従軍慰安婦の話を聞かせてくれました。。。
そのとき聞いた従軍慰安婦とのプレイの話は僕の想像をはるかに越えた乱暴なものでした。
結局ビデオ個室設置や出張ヘルスは子供や女性も一緒に非難しているし衛生管理も出来ないし従軍慰安婦の二の舞になってもいけないのでなしになりました。
1回目のボランティアの時コンビニではコンドームが売り切れだったので名古屋から数箱配布しようと持ってきていたコンドームをボランティア終了日に「必要な人がいたら渡してください」と団長に託しました。
【ボランティア後】
2度目のボランティア以降もボランティアに行こうと思っていたのですが軍資金をためるためにバイトをしているうちに日々の生活に戻りその後は神戸にボランティアで行くことはありませんでした。
団長からは落ち着いたらボランティアのみんなにお礼をしたいから宴会をしようと何度か連絡もいただき年賀状も数年やりとりしていましたが結局その後避難所で一緒にパトロールをした人たちとあうことはなく現在に至っています。
さーと記憶をたどって書いたのであいまいな部分もあるかもしれませんがこれは全て僕が経験して感じたことです。
僕は正義心から出なく好奇心でボランティアに参加したので色んな人と色んなお話をしたり外出許可が出たら営業しているお店に入ったりして気楽に過ごしました。
空ってブランドをたちあげた人、ポーカー喫茶のマスターや建設屋の社長など色んな年齢色んな職業だった人とお話が出来たのが当時の僕にとってはすごく楽しい経験でした。
なにより震災にあって悲惨な気分なんだろうと思っていた現地の人たちが明るく冗談をいいながら前向きに過ごしていたのが印象的でした。

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